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秦野市はかつて「葉タバコ」の産地として知られ、水府(茨城県)、国分(鹿児島県)と並び日本三大葉タバコのひとつとして名を高めてきました。330年の伝統をもつ葉タバコづくりを中心に冬作は麦、菜種、夏作は落花生、陸稲などの普通作との輪作体系が長い間行われてきました。しかし、1960年代後半になり急速な都市化により農業経営も都市型農業へと方向が変わり、1984年(昭和59年)を最後に伝統的な葉タバコ栽培は姿を消しました。降雪、降霜が少なく、比較的温暖な気候のため、現在では野菜から果物、花木までバラエティ豊かな農作物が栽培されています。まず、秦野を訪れた際に味わっていただきたいのが落花生です。明治から昭和にかけて葉タバコの輪作として盛んに栽培されてきました。現在では栽培量が減っていますが、秦野盆地の火山灰土壌が生み出す、独特の風味と豊かな旨味が特徴です。市内には老舗落花生専門店が多く、厳選した落花生を熟練の職人が丹念にいり上げています。豊富な種類の豆菓子もあり、多彩な味わいを楽しめます。新鮮で香ばしい、地元産ならではの味わいを、ぜひお試しください。落花生は8月末~9月中旬に新豆が出回ります。収穫したての生の落花生を塩ゆでした「茹で落花生」はこのときしか味わえないもの。旬が短いため、冷凍の茹で落花生(うでピー)も販売され、年中楽しめます。一度食べるとやみつきになる一品です。
丹沢山麓に広がる茶畑で作られるお茶、そして地酒にも注目を。山々からの霧や適度な日陰で温暖な気候といったお茶を育てるのによい条件と、豊かな土壌づくりが、柔らかい茶の芽を育み、香り豊かな銘茶を生み出しています。地酒はこだわりの米と、全国名水百選に選ばれた秦野の名水を使って丁寧に仕込まれたもの。この地ならではのこだわりが生んだ、特別な一杯をぜひお楽しみください。
落花生と双璧をなす秦野を代表する名産品が「蕎麦」です。そばもかつて行われていた葉タバコの裏作として作られたのが始まり。火山灰土壌がソバの栽培に向いており、全国名水百選に選ばれている良質な水で打たれ、茹で、締めるそばはのど越しがよく香り高く、近県からも訪れるそば好きをうならせています。現在、都市化によりソバ畑も減少していますが、培った製麺技術と名水でおいしいそば店があります。
数あるそば店のなかから、創業25年を迎え、今なお、秦野そばの素晴らしさを伝えているそば店、東雲の代表である山田洋子さんに秦野のそばについて伺いました。
今から80年ほど前はソバも小麦も自分の畑で採れたもので、そばを打つのが当たり前だったと山田さんはいいます。自分たちの家にある石臼で荒く挽いたそばは味が濃いので四分六(そば粉が六)で打つのが一般的でした。そばがきに近いくらいにねっとりとしていて、茹でるのが難しかったそうです。山田さんが幼いころ、そばはごちそうでした。お祭りとか、お正月にふるまうものだったそうです。でも「父親がとてもそばが好きで、雨になると農作業ができないから母親にいうのです「そばを打ってくれ」って。だから、うちではしょっちゅうそばが出てきました」と、山田さんは笑いながら話してくれました。
秦野産のそば粉を100%使い、小麦粉も秦野産。水は秦野の湧水。母屋の隣にある水車小屋の石臼でそばを挽いています。茹で上がったそばは湧水がたっぷり入った3つの水桶で締めていきます。そばから水からすべて秦野のもの。まさに昔からこの周辺に受け継がれてきた「秦野の蕎麦」を存分に味わってもらえるお店です。東雲では二八そばを提供しています。四分六に比べてそば粉が多いため、かなり力を入れてこねないとつながらないそうです。今では15人以上ここでそばを打つ"秦野手打そば認定指導者"が在籍しますが、お店を始めたころはそばを打つのは大変でした。なかなかつながらなくて苦労したそうですが、今ではどこにも引けを取らないほど質の高いそばを提供しています。
料理教室を長い間続けていた山田さんは、ある日、市の職員からここで「蕎麦店」をやってほしいと口説かれました。迷いながら引き受けることにした山田さんは、やるからにはしっかりやろうと1年間東京のそば屋で勉強し、そばと向き合ったといいます。料理経験を活かしながら、修業したお店とまったく同じようにするのではなくて、秦野のそばをおいしく食べてもらうためにアレンジしながら、試行錯誤を続けた25年間。「始めたころからずっと無我夢中で、気が付いたら25年経っていました。近くの主婦の皆さんが、一生懸命ついてきてくれて、本当にありがたい」と山田さんは昔を思い出しながら話してくれました。「東雲がある「田原ふるさと公園」は子どもころよく遊んだ場所で、本当に何にもなかった場所でした。この辺りは自分の家でソバを作って、石臼で引いて、そばを打っていたんだけど、今から30年ほど前には農家の高齢化であまり作られなくなってしまった。それを少しでも昔のように戻したくて始めたのです」。秦野市内にそば屋が少なかったころにお店を始めて四半世紀。今では厚木はもちろん、相模原など、小田急線沿線からなど、いろいろなところからいらっしゃいます。いつも満車で車を停めるのにも一苦労する駐車場、そして店内に入れば、てんやわんやな厨房の姿を目にします。「毎日忙しいけれど、お客さんに”秦野の蕎麦”を喜んでもらえてとてもうれしい」と山田さんはいいます。
そば処「東雲」代表の山田さん